高校時代の友人とひさしぶりに再会したときに聞いた夢です。題材として使っていいかと尋ねたら、快く了承してくれたので、紹介しますね。
こんな夢でした。
海岸線をドライブしていたら、夕日がすごく綺麗だったので、車を止めて海辺を歩いてみた。そこは海水浴場で、まだ泳いでいる人たちやサーフィンしている人もいる。波打ち際で一匹の猫が走っているのが見えた。海で跳ねている魚を獲ろうとしているらしいけど、波はけっこう高い。猫が海に落ちて溺れかけるのを見て、僕は慌てて助けあげる。でも気がついたら、猫は魚になって、僕と海の中を泳いでいた。なんとなく、猫を助けて竜宮城に行ったような夢です。
一般的には、猫は泳ぎが苦手だし、水も嫌いです。でもこの夢では、猫が魚に変身しちゃっています。
海の夢が意味していること
海辺の光景は、天気さえよければとても気持ちのいいものです。でも、どんな海でも、海面の下には私たちの知らない海中の世界が広がっています。
私たちの心も、ふだん見えている光景とは違った、自分の知らない世界を秘めています。
こうしたことから、「海」は無意識的な世界のメタファーとされてきました。
私たちの内的世界は、そのほとんどが道の無限の広がりをもっている広大な海と言うイメージとして表現される。(・・・)多くの船やかつての海岸線が今は波の下に眠っている。それらは、いつの日か波間に現れて、再び白日にさらされ、私たちの古い記憶を呼び戻し、意識化されるのである。『最新夢辞典』夢では、魚になった猫といっしょに、海のなかを泳いでいます。
これは、導き手に伴われて、無意識や深層心理を探求していることを表しているのでしょう。
海に潜ることは、無意識を意識化することや、過去の記憶を思い返すこと、自我意識を少し手放して、死を見つめることなどを意味しているとされます。
夢の最初に登場した「海岸線」についても取り上げてみましょう。
海岸線は、陸地と海の境界線です。
陸から海に移動するためには、泳いだり、船に乗らなくてはいけません。だから、何かの変化が求められている境界や限界を表しています。
海岸は、これまでの自分の限界や変化の境目を象徴していると考えられます。また、上で述べたように、意識と無意識が出会う境界でもあるのです。
溺れる猫を助ける夢
「溺れる」ことが意味しているのは、不安や怖れ、イライラ、嫉妬などの何らかの感情に呑み込まれることや、流されることでしょう。この夢の場合は、溺れてしまうというよりは、次に海中で泳ぐための布石になっています。
夢見手が「猫を助ける」という行動をしているのは、主体的に感情や無意識と関わろうとしている姿勢を反映しています。
助けているつもりが助けられているということもよくある話で、溺れている猫は、夢見手を海中に誘い出す、あるいは導く存在でもあるのです。
魚になって泳ぐ夢
魚は本能的な衝動や欲求に従って行動することなどを表しています。ですから、夢占いなどでは「魚になる夢」は、「悪いことが起こる前触れ」「何かを失うことをや大切な人との別れ」を暗示していると解釈されることがあります。
自覚なく、衝動的にふるまうことで、よくないことが起こるだろうというわけですね。
でも実際に夢を解釈するときには、夢見手がどのような感情や感覚を体験しているかということが重要です。
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